「橋をめぐる いつかのきみへ、いつかのぼくへ」 舞台巡礼

2009年5月某日、『橋をめぐる』(文藝春秋)の舞台となっている橋に実際に行ってきました。
実は、作品の連載中に1回、連載が終了してからもう1回行っているのですが、その時はただ橋を見に行ったというだけでしたので、今回は作中に出てきた細かいところまで注意深く見て回りました。
以下はその記録となります。これを読めば、紡さんがどれだけ取材にエネルギーをかけているかが分かるはずです。

はじめに

まずは、「橋をめぐる」の舞台と、このページの進め方を少々。
「橋をめぐる」の舞台はご存知の通り”深川”です。東京都の江東区に位置します。東京の代表的な下町であり、隅田川が流れ橋が数多くあります。今回の物語はその橋にスポットを 当てた作品です。
そして当ページの進め方ですが、主に物語に沿った流れで、文章の引用をしつつ、写真、文を載せて行きたいと思っています。それから、掲載順は目次の通りではなく、清洲橋→ 永代橋→……のように、目次の左側の地図を参考に清澄白河駅から半時計回りに進めていきます。これは実際に橋を回った順でもあります。
それでは説明はこれくらいにして、早速橋めぐりをはじめましょう♪ まずは清洲橋からどうぞ!



清洲橋……第1話

それではいよいよ橋めぐりの始まり!
当日は午前には家を出るつもりだったのですが、ごたごたがあり結局出発したのが13時でした。自宅から清澄白河駅まで約1時間。 到着したのが14時頃だったでしょうか。この時間で全部の橋まわれるかな……という不安を心に抱きつつ、とりあえず清澄白河駅の入り口をパシャリ。 こっちは小さい方の出入り口なのですが。

清澄白河駅

清澄白河駅は物語の中にもでてきますよね。

「清澄白河駅なら1本だ」
(『永代橋』p278 より)

それでは時間も押してることですし、早速清洲橋に向かいましょう。
物語は中央区側から江東区に向かって橋を渡る場面から始まるので、資料館等は無視してとりあえず橋まで一気に行ってしまいます。 天気も良くちょっと汗ばむような気候ですが、風がとても気持ち良いです。もうちょっと早ければ桜が満開だったのになぁなどと思いつつ、 駅から歩いて10分かそこらでしょうか、清洲橋に到着〜。

清洲橋1  清洲橋2

本に載っているカットはこんなアングルからでしょうか。なんか逆光ですがorz

清洲橋3


それではいよいよ、物語に沿って歩いてみましょう。

清洲橋を渡った。五年ぶりだった。
足をかけたときは少し緊張したものの、さして深く考える間もなく、桜井友香は橋の真ん中にまで達していた。
(『清洲橋』p6 より)

友香が足をかけたときの風景と、橋の真ん中。

清洲橋4   清洲橋5

渡る途中、カモメは飛んでいませんでしたが、とても爽やかで気持ちよかったです。
清洲橋は確かに大きく、近くから見ればひどく無骨。上を見上げると本当に塔のてっぺんが空まで届くような感じでした。ただ、物語には” 青は青でも、光の加減しだいで紫のように見えるではないか。”と書かれていましたが、残念ながら青にしか見えずorz。 時間帯によって見えたり見えなかったりするのでしょうか。
ちなみに橋の上にあるブツブツがリベットというやつです。

遠くから見ると優雅な清洲橋も、真ん中に立ってみればひどく無骨で、大きなリベットがたくさん並んでいた。そのひとつひとつに手のひらで触れた瞬間、 ふわんとしたものが胸に生まれた。
懐かしさ、だろうか。
心ではなく、体が、手のひらが、覚えていることだった。

(『清洲橋』p8 より)

こんなただのブツブツひとつで、こんな印象的な文が作れるとは驚きです。さすが紡さんといったところでしょうか。でも、このリベット、 なんのためにあるんでしょう(汗)。

そういえば、清洲橋は昭和3年にドイツにあるケルンの吊り橋を手本にして作られたようで、そのモデルのケルンの吊り橋が大戦で壊れてしまい、清洲橋を 見るためにドイツの方がわざわざ訪れたりもするそうです。また、清洲橋は優雅な下重曲線を描く女性的イメージで、永代橋は筋骨隆々とした男性的イメージ で演出されたようです。でも、個人的には、清洲橋が男性で永代橋が女性のような気がするのですが^^;
両橋は2007年6月に国の重要文化財に指定されました。

では、うんちくはこのくらいにして、話を進めましょう。とにかく橋を渡りきらなければなりません。

友香は再び歩き出した。こうなったら、とにかく渡りきってしまおう。引き返すのは、なんだか嫌だった。ああ、そうだ。渡りきったところに石のベンチ があったはず。あそこに座って、これからどうするか考えよう。
(『清州橋』p9 より)

そしてそのベンチがこちら。

石ベンチ

「あれ__」
 清州橋を渡りきったところで、友香は立ち尽くしてしまった。腰掛けるつもりだったベンチが、思っていたよりも低かったからだ。石でできていること もあって、ベンチなのか、オブジェなのか、とっさに迷うほどだ。

(『清州橋』p16 より)

写真だとよく分からないかもしれませんが、本当に低いです。膝よりも低く、確かにこれでは座れません。
仕方がないので、先に進みましょうか。

仕方なく歩を進め、生まれ育った地元に足を踏み入れた。清州橋通りの両側はしばらく大きな倉庫が続き、記憶にある風景とほご同じだったけれど、すぐに 違和感を覚えた。昔からの古い建物も残ってはいる。ただ、それらを取り囲むようにして、真新しいマンションが並んでいた。
(『清州橋』p17 より)

橋の右側の倉庫と左側の倉庫

倉庫1   倉庫2

本当によく描かれていてびっくり。
そしてこんな感じの道路を歩き……

清州橋通り

しばらくすると交差点に。

戸惑うまま足は進み、ふと気づくと交差点に達していた。清州橋通りと、清州通りが交わる場所だ。
(『清州橋』p17 より)

交差点1  交差点2

ここを右に、つまり清澄通りを歩いていきます。

点滅する青信号が目に入った途端、友香は足を早めていた。横断歩道を慌てて渡り、清澄通りへと曲がる。
(『清州橋』p17 より)

そしてこの先、本にはこんな記述が出て来ます。

 しかし、歩き続けるうち、ふたたび違和感に囚われた。
 音楽教室の昭和テイストの看板はいい。その隣の金物屋が閉店しているのも知っていた。お茶屋も記憶と違わない。表具屋はシャッターを下ろしている けれど、看板の文字は昔のままだ。

(『清州橋』p18 より)

この場面が、これ。

音楽教室  金物屋

お茶屋&表具屋

なんかもう、これ見つけたときはびっくりして感動して。
本当に丁寧に取材をして、細かいところもよく見ておられるんだなぁと。純粋にすごいと思いました。

そして、商店街(?)のようなところを通って、その先にあるのが

深川江戸資料館1  深川江戸資料館2

「そりゃ狭いさ。で、どこにいるわけ?」
「区役所……じゃなかった。前は区役所だったところ」
「資料館?」
「うん。そこの地下1階」
 かつて区役所だった建物は、今は深川江戸資料館という施設になっている。入場料はたったの300円だ。

(『清州橋』p32 より)

というわけで、300円を払って中に入ってみました。ちなみにこの資料館、以前話題になったミシュランガイドin Japanに星1つで載ったそうです。 たしかに外国の方にとっては興味深いかもしれません。その影響もあってか、中は外人がたくさん。ツアーが2つくらい来ていたみたいです。
そして、物語の中にも記述がありますが、中は入ってすぐのところに松尾芭蕉など深川にゆかりのある人の絵が飾られており、地下1階には江戸の町並みが 再現されています。

資料館1

入った時は夕方という設定だったらしく、赤い照明がついていました。そして、

江戸時代の八百屋を覗き込む。ネギやらニンジンやらが並んでいた。手にとってみたところ、当たり前だけれど、野菜は作り物だった。
(『清州橋』p33 より)

資料館2

結構リアルな野菜でした。思わず手にとってしまうのもわかる。素材はよく分からなかったけど、なんか硬くて軽くて叩くとカツカツ良い音がしてました。 粘土なのかな?

このジオラマのどこかに、米屋があるはずだ。店の奥の米つき機は、シーソーみたいな造りで、その一方に乗り、体重をかけて上下させる。もう一方の下 には、玄米が盛られた臼が置かれていた。ぎっこんばったんと漕ぐのがたのしいらしく、幼い健太はずっと米つき機に乗っていた。
(『清州橋』p33 より)

資料館3

本の記述どおり、漕ぐのは楽しいらしく、小さな子供がずっとバタンバタンやっていました。おかげで写真撮る機会を得るのが大変でした(笑)。でも子供は 無邪気で可愛いですね。

「大吉さんは材木屋の職人だね」
そのことに戸惑いつつ、友香は言った。
「裕次郎さんは猟師」
「わけわかんないんだけど」
(『清州橋』p34 より)

資料館4

大吉さんの家もごらんの通り。あいかわらずの取材の丁寧さです。

そして、この他には特に記述がないので、資料館を出て「清州橋」は終了です。
本当は花火の場面なんかも載せたいところなのですが、残念ながら季節があわず。今度の隅田川の花火のとき行けたら行って写真とってこようかなと思います。

では、次は『永代橋』となります。「清州橋」は結構長くなってしまいましたが、「永代橋」からはあまり物語中にはっきりとした場所名が出てこないので さくさく進むと思います。
それでは永代橋へ!




永代橋……第6話

それでは今度は永代橋に向かいます。この時点で時間は15時半。清州橋に1時間半も使ってしまい、18時過ぎにはあたりが暗くなることを考えると残り3時間。 かなり厳しい時間なので休むまもなく歩き出します。
目次の隣にある地図では清州橋と永代橋はかなり離れているように見えますが、実際は清洲橋の隣の隣が永代橋なのでかなり近いです。清州橋から永代橋が 見えるくらい。
それでも資料館まで戻ってきてしまったのでそれなりに歩きます。あいかわらず日差しもあって暑いです。それでも、川沿いの道を歩く のは気持ちよくて楽しいです。なんか穏やかで、空気がのんびりしている気がします。これは町全体で言えることだけど。周りにいる人も実にリラックスしている ように見えます。犬の散歩をしているおじいちゃんとか、仲良くウォーキングしている夫婦とか。中には上半身裸でベンチに寝そべって日光浴している人や、 なぜか太陽の下でパソコンをやってる人なんかも(笑)。太陽の下でパソコンというのは間違ってる気もするし、とっても正しい気もする(笑 若くてラフな 格好をしていたので、急な仕事でPCやってたとかではないと思います。これも、この町の雰囲気からでしょうか。
そしてそんな風に気持ちよく歩いてたらいつの間にか永代橋に到着。

永代橋1  永代橋2

全体像はこんな感じ。

永代橋3


永代橋は大きくて、きれいだった。ぐうんと延びているのがいいと思う。まるで天に昇る道みたい。
(『永代橋』p240 より)

永代橋は、ぐうんと天に向かって延びていた。とてもきれいだと思った。どこまでもどこまでも登っていけそうだ。
(『永代橋』p280 より)

永代橋4

遠くからみると緩やかな曲線のように見えますが、近くに行くとこの通り。空に吸い込まれそうなほど上に向かって延びています。清州橋のところで書いた ”筋骨隆々とした男性的イメージ”とはこういうところから来ているのでしょうか。でも、やっぱり、個人的には永代橋が女性だ……orz

 千恵はベンチの上に立って、背伸びしつつ、永代橋を眺める。岸の向こうにはビルがいくつも建っていた。さっき前を通ったビルよりも、ずっと大きくて、 立派だ。
隅田川は広い。船がいっぱい、行ったり来たりしている。
対岸にあるビルは、日が暮れてくると、窓がきらきら光りはじめ、さらに立派に見えた。まるで別世界みたいだ。あそこには、絶対、エンジのように、 ダボシャツとステテコで歩く人はいないだろう。
 そう、とても、とても、遠い。隅田川の幅よりも遠い。

(『永代橋』p240 より)

永代橋5

確かにこれは別世界……。
橋の対岸同士はせいぜい数百メートル。それでも、そこに河があるというだけで、風土とか風習が違ったりする。そういった意味で、確かにここは隅田川の 幅よりも遠いかもしれません。

では、これで橋は終了です。次はまつぼっくり橋こと石島橋に向かいながら、「永代橋」に出てきた風景を少し紹介しましょう。
まず少し歩くとすぐに大きな広場を発見しました。

広場

千恵たちが大縄跳びをして遊んだところでしょうか。

「あ、いいなあ」
 つい声が漏れていた。広場で大縄跳びをしているのが目に入ってきたのだ。ぐるんぐるんと長い縄がまわるたび、七、八人の子がいっせいに跳び上がる。 影も一緒に跳び上がる。みんな、そのたびに笑い声を上げていた。

(『永代橋』p246 より)

この日もたくさんの子供達が広場で遊んでいました。サッカーやったり鬼ごっこやったり。実に楽しそう。
そしてそばのベンチには、ダボシャツとステテコではなかったけどすごーくラフな格好をしたお爺さんが3人で楽しそうにおしゃべりをしていました。
ここには本当に、『永代橋』の風景があるんだなぁと、なんだかうれしくなりました。

それから、これは永代橋からだいぶ離れたところなので物語中に出てきたものとは違うと思いますが、こんな場所を発見。

壁画

美紀ちゃんと並んで歩いていると、壁に絵が描かれているところを通った。落書きとかじゃなくて、ちゃんとした絵だ。大人が描いたのもあったし、子供が 描いたのもあった。
「これ、わたしたちの」
そのひとつを、美紀ちゃんは指差した。すごく下手な絵だ。小さな子供が描いたんだと、すぐにわかった。
たくさんの顔が並んでいた。卒業記念という文字があった。

(『永代橋』p251 より)

壁にはたくさんの絵が描かれていました。うまいのも下手なのも。そしてその1つのある絵は、大きい絵の上に一人一人の似顔絵と名前が描いてあって、卒業記念と 書かれていました。

って……あれ?……まじでここか?(汗)

場所的には絶対違うのですが、小説だし、ひょっとしたらここかもしれません。
でもまあ、そうであってもなくても、こういうのが町に溶け込んでいるというのは、やっぱりこの町のもつ気風なのでしょうか。

それでは、これで本当に「永代橋」は終了です。次は「まつぼっくり橋」へ向かいましょう♪




まつぼっくり橋……第5話

それでは永代橋からまつぼっくり橋(石島橋)に移動します。永代橋からまつぼっくり橋までは結構な距離があり、しかも前みたいに川沿いではなく完全に 一般道を歩くのであまり面白くないです。それでも歩くしかないので歩きます。結構複雑な道なのですが、なんとか迷わずに行けました。と言うのも、前回 1度行っているからです。そのときは迷いまくって、人に聞きまくって行ったのでかなり時間がかかりました。というか、それ以前に、まだ単行本として 出ていない時期だったので、橋の正式な名前が分かりませんでした(笑)。まつぼっくり橋としか覚えてなくて。携帯で調べてなんとか分かった次第です。
どっちにしろ今回が初めてだった場合、とてもじゃないけど1日で全部の橋を回ることなどできなかったでしょう。
ちなみにまつぼっくり橋に着いたのは4時半頃。これならなんとか間に合うかな……と言ったところです。
で、これがまつぼっくり橋こと石島橋

まつぼっくり橋1   まつぼっくり橋2

「いや、見ろよ」
 感心しつつ哲也が指さしたのは、橋の欄干だった。
「松葉と、まつぼっくりが、デザインに組み込まれてるんだよ」
「あ、本当だ」
「歩道との境界柵は、松葉だけ。門柱はまつぼっくりの柄だ。橋全体が松をモチーフにしてるってわけだ」
(『まつぼっくり橋』p199 より)

その境界柵と門柱がこちら。

まつぼっくり橋3   ばつぼっくり橋4

本当に松に統一されている。清州橋や永代橋のように立派で迫力のある橋ではないけれど、かわいらしくて愛着の湧く橋です。
そしてこれは作中には出てこなかったんですが、橋の両隣にはこの通り。

まつぼっくり橋4

なんと本物の松まで植えてありました。デザイナーさんの心意気がホントに伝わってくる。今回行った6つの橋の中で、まつぼっくり橋が一番気に入って しまいました。

では、短いですが、「まつぼっくり橋」はこれで終了です。この作品には場所を特定できる記述がほとんどないのです。唯一出てきた深川不動には行けません でしたorz

ではお次は八幡橋へ〜。




八幡橋……第4話

さっそく八幡橋へ。
まつぼっくり橋から八幡橋はかなり近く、徒歩で5分ほど。しかし、結構入り組んだところにあり見つけるのはちょっと大変です。と言っても、先ほども 書いたとおり前回行っているので迷わず行けました。
富岡八幡宮の脇を通って曲がったところに八幡宮橋はあります。こんな感じです。

八幡橋1

八幡橋は陸橋なので、とりあえず作品どおりに橋をくぐりました。そうしたら、そこに太った猫がいて、女性の方が猫に餌をあげていました。猫も全く警戒心 なし。そういえば小説にも猫がいるって書いてあったよなぁと思って持ってきていた本を開いてみたら、びっくり。

八幡橋の下をくぐったところで、猫が道を横切っていた。人が、つまり圭子と翔太が近くにいるというのに、まったく怖がる様子などない。下町の人は さして猫を嫌わないし、この遊歩道には餌をあげにくる女性がいるので、すっかり人馴れしているのだろう。
(『八幡橋』p144 より)

物語の最初の一文です。
えっと……なんなんだこれは? そのまんまじゃないか!
なんか、すごいものを見た気分になりました。

それでは、物語にそってみてみましょう。

猫は数メートルほど歩いたあと、竹で作られた柵の手前で、ごろりと寝転がった。よく見れば、ずいぶん太っている。
(『八幡橋』p145 より)

猫はいつか香箱を作り、目を閉じている。まるで寝ているかのようだいくら人馴れしているといっても、ここまで警戒心がなくていいものだろうか。
(『八幡橋』p149 より)

猫1   猫2

状況はちょっと違いますが、ご覧の通り。右の猫はもう少しで香箱だったなんですが。
それにしても猫可愛すぎ。警戒心なさすぎ。そして太りすぎ(笑)。
右の猫は撫でても何も反応しません。ちょっと薄目を開けるくらい。気持ちよさそうに寝ていて、実にうらやましい(笑)。なんかずっとこうして撫でて いたくなりましたが、時間もあまりないので後ろ髪を引かれる思いで橋めぐりを再開します。
まずは物語にできてた例のプレートを発見。

近くに橋の由来を説明するプレートがあったので歩み寄ってみた。長い文章が連なっている。ぼんやり文字を追っていると、移設という文字が目に入ってきた。
(『八幡橋』p149 より)

プレート1   プレート2

この中で”移設”という文字が飛び込んでくるってすごいな とちょっと思ってしまいました(笑)。でも、それにしても、今の正式名称は”八幡橋” なんだから、プレートには 八幡橋(旧弾正橋) って書くべきですよね普通……。
これを見たとき、「八幡橋」のラストの佳子の問いかけがものすごく 納得できました。

では、次は橋の下の遊歩道を歩いて行きます。
まずは左のような遊歩道を歩くと……

遊歩道   高架下

右のような場所に出ます。この場面もちゃんと物語の中に。

戸惑いつつ、ふたたび息子と手を繋ぎ、遊歩道を歩いていく。翔太は黙ったままだった。なにか考えているふうだ。やがて高速道路の高架下に出た。 車の振動がかすかに伝わってくる。高架下は舗装されており、とても広かった。テニスコートなら何面か取れそうだ。夜はスケボー少年たちの練習場 になっているらしい。
(『八番橋』p150 より)

高架下はこの通り。

高架下2

本当に無駄に広いです。夜どころか、このときも何人かがスケボーをやっていました。一応スケボー禁止らしいですけどね(笑)。
すぐ近くに小学校が あるので、昼休みや放課後は賑やかなんでしょうね。

ではこれで八幡橋は終了ー。次は亥之堀橋へ向かいます。




亥之堀橋……第2話

八幡橋から亥之堀橋へはまた少し歩きます。このあたりになると少し太陽も傾いてきて、ちょっと焦ってきました。なんとか全部回りたい……という願いを込めて 少し早めに歩きます。途中には小さな川などがあり、とても穏やかな雰囲気が漂ってました。
そして歩くこと十数分。小説にも出てきた現代美術館を曲がって、少し行ったところに亥之堀橋はあります。
こんな感じです。

亥之堀橋1

それでは例の如く、物語に沿って歩いてみましょう。まずはこちらから

十一月の声を聞いてから日がずいぶん短くなった。五時を過ぎると、高層マンションの上につけられている赤灯がぴかぴか輝きだす。その滲むような光を 見ながら、耕平は亥之橋に向かった。
(『亥之堀橋』p67 より)

赤灯

時間は既に5時を回っていましたが、太陽が傾いてきたとかなんか言っても、5月は5月。一番日の長い時期なので、まだ赤灯は灯っていませんでした。 でも前回ここに来たときはだいぶ真っ暗になってるときで、そのときはちゃんとぴかぴか光ってました。回りはごく普通の住宅街のため、その赤はひどく 目立っていました。紡さんもそこに目が行ったのでしょうか。
では物語を進めていきます。

橋の右側には『いのほりばし』と平仮名で銘が刻まれており、左側には『亥之堀橋』と漢字で刻まれている。
なぜそういう名なのか、耕平はいまだ知らない。

(『亥之堀橋』p67 より)

これもご覧の通り。

亥之堀橋2   亥之堀橋3

ちなみに「亥之堀橋」の名前の由来はググってもよく分からなかったので放置。細かいことは気にせず、次に行きましょ、次 ^^;

橋の真ん中、その歩道部分は川に突き出すように膨らんでいる。通行人がすれ違えるようにという配慮なのかもしれないし、くつろぐための場所なのかも しれない。 (『亥之堀橋』p68 より)

亥之堀橋4

本当にこの膨らみは何のためなのか。物語に書いてある理由からなのか、デザイン上の問題なのか。
今まで橋なんてろくに見ないで渡っていたけど、実は橋って深いんですね。

そして橋を渡りきった先にある通りには……

気恥ずかしくなるくらい高級感に溢れたロビーを出て、耕平は西へと向かった。
 おもしろいもので、歩道と車道をわけるポールには、いちいち飾りがついている。火の見櫓、鴨、まとい__
 どれも深川にゆかりのあるものばかりだ。
(『亥之堀橋』p82 より)

ポール1   ポール2

ちっちゃくて可愛かった。でも本当に細かいところまで良く見ておられる。

で、これで大体「亥之堀橋」は終わりなんですが、最後にちょっと1つ。物語には、耕平のマンションについて次のような記述がある。

じゃあな、と言って、耕平は亥之堀橋を渡りきった。すぐ十字路で。右の角に、焦茶色の賃貸マンションが建っている。十二階建てである。この辺りのマンション としては、平均的な高さと大きさだ。
 一階に入っているのが、耕平の店であった。『楓』という。

(『亥之堀橋』p53 より)

あえて写真は載せませんが、確かに亥之堀橋を渡りきったすぐの十字路に焦茶色のマンションがある……!見た目は10階ちょっと。でも物語にでてくる 描写と違うところもあるし、見たところスナックが入っているようなところはなくごくごく普通のマンションです。果たしてこれが物語にでてきたマンション なのか違うのか……。
参考程度にはしてるかも?

ではこれで亥之堀橋は終わりです。次はいよいよラストの大富橋!

最後に本に載っていた角度からの亥之堀橋の写真を載せておきます。5月で葉が 茂っていたので、本の通りの場所では撮れなかったけど……。

亥之堀橋5




大富橋……第3話

それではいよいよラストの大富橋! 橋めぐりを始めて約4時間。時刻はだいたい6時ちょっと前。太陽は傾いているとはいえ、まだ十分明るいです。 とは言ってもあと30分もすれば暗くなり始めるでしょうからギリギリでした。下見(?)しておいてよかったです。

それでは大富橋へ向かいます。目次の隣の地図をみると分かるとおり、大富橋は亥之堀橋のすぐ近く。あるいて5分くらいのところにあります。
大富橋は三ツ目通りという大きな通りが走っているので、とにかく大きい。いや、大きいんじゃなく、とにかく広い。

大富橋1   大富橋2

歩道が車道と同じくらいあるしね……。10人くらい横1列であるけるんじゃないかというほど無駄に広かったです。橋によって特徴は様々ですね。

では物語に出てきたところを。と言っても、橋に関する記述は少ないんですけどね、『大富橋』の場合は。

大富橋の欄干は波を模してあり、上下にうねっている。色はもちろん水色だ。鉄製の波と、本物の波の向こうに、大きなビルが見えた。妙な違和感を抱いた 陸は、やがて気がついた。ああ、そうか。あのビルは三年前、ちょうど建設中だったんだ。
(『大富橋』p99 より)

大富橋3   大富橋4

こんな感じになっております。で、これでたぶんの大富橋の記述は終わりです。ちなみに本に載っている写真の角度から撮ると

大富橋5

このような感じになります。
が、本の写真と見比べてみると分かる通り、アングルがだいぶ違います。実は本の写真と同じアングルになる場所を頑張って探したのですが、どうしても 見つかりません。どこで撮ってもどうしても本の写真よりも低いアングルになってしまいます。これを撮ったカメラマンは一体どこから撮影したんだ…… と呆然としていたら、ふと目の前の柵に目が止まる。

え……?

ひょ、ひょっとして……

ここに登って撮ったのか…!?

真相は分かりませんが(さすがに試したくもありません笑)、他に高い場所もないし……。
まあ、脚立かなんかで撮ったんでしょうけど、もし、もし本当に手すりに登って撮ったのだとしたら、それこそ『大富橋』ですね(笑)

「上を歩こうぜ」
「ええ、なんでだよ」
「意味なんてねえよ。いいか、登山家は、そこに山があるから登るんだ。俺たちの前には堤防がある。立派な理由だろう」

(『大富橋』p104 より)


それでは、これで「橋めぐり」は終わりとなります! なんとか暗くなる前に全部回れてよかったです。4時間も歩き続けていたのでさすがに疲れましたけど……。
では、最後まで読んで頂きありがとうございました。お疲れ様でした。




おわりに

それでは改めてお疲れ様でした。橋めぐりにこのページを作るのにと色々大変でしたが、なんとか書ききることができてうれしいです。
今回の橋めぐりで一番感じたことは、橋本さんの取材に対する丁寧さと真剣さでした。本に出てきた場所を回るだけでさえ1日費やしたのに、橋本さんは 深川に数え切れないほどある橋から実際に歩き回っていくつかを選び出し、そこから細かいところまで観察してゆく。一体取材にどれだけの日数をかけたのか。
橋だけじゃなく、町の様子まで的確に表現されていて純粋に驚き関心しすごいと思いました。それも人によってはどうでもいいと思ってしまうところまでも 丁寧に描いていて。小説家になるには文才がどうのこうのと世間では言われるけれど、こういうことができてこそなんだなぁと改めて思いました。
それから、もう一つ思ったのが、橋ってそれぞれの個性を持っているんだなということ。今まで橋なんてろくに注意もしないで渡っていたけど、どんな小さな 橋だってどこかしら工夫されていたり凝っていたり。どれもデザイナーの心意気が伝わってきて、橋って芸術作品なんだなぁと初めて気づかされました。 奥が深いですね、橋って。
この物語を書いてくれた橋本さんに感謝です。そして最後まで読んでくれた皆さんにも感謝を。

それではこれで『橋をめぐる いつかのきみへ、いつかのぼくへ』の舞台巡礼記を終わります。
また橋本さんがどこかを舞台に作品を書いてくれたらまた行ってやろうと思います。

それでは、ありがとうございました。




inserted by FC2 system